箱根の新緑は目が健康になるようなフレッシュな緑色です

桜の花が散って新緑が眩しい季節になりました。

箱根の国道1号線を湯本から車で走って登ってきますと、箱根湯本を過ぎた頃から、木々が重なって緑のトンネルのようです。

今は、紅葉や桜の木など、柔らかいうす緑から黄緑のグラデーションが美しいです。

箱根 新緑

春に三日の晴れなし、という言葉を天気予報の気象予報士が言っていましたが、本当にこのところ、雨が降って肌寒い日があれば、晴天になり上着を脱ぐこともあります。

雨あがりの山は稜線がくっきりして、霞やほこりを洗い流して新緑を引き立たせます。

空気も爽やかになります。

晴れて暖かくなると、あんなに寒かった1月2月があったなあと思い出します。

1月末に全国的な寒波で水道管が凍るような極寒の夜中に、館内の蛇口という蛇口の水をちょろちょろ出して、絶対凍結させないぞ、と万全にしたはずが、こちらの対策の上をいく超極寒波のために排水管の方が凍結しました。

フロントの天井から水道管破裂で水がザーザーと流れ落ちてきました。

天井からふすまから壁から畳まで、水浸しになりました。

水道設備やさんの修理はすぐに完了しましたが、部屋をリフォームする大工さんのスケジュールと当館のお客様のいない日の調整が上手く合わずに、なかなか着手できませんでした。

3月中旬から4月の初めまでの2週間で修理が終わりました。

押入れのふすまをクローゼットタイプの収納スペースにして、畳は撤去して、フローリングにして、壁も張り替えました。

玄関のフロントには、大事に保存していた昭和の遺物の建具を取り付けていただきました。

この建具は、宿泊業を始めた時の玄関に取り付けていた飾りガラスでした。

私がまだ小さい頃に記憶がある玄関でした。

温泉民宿の箱根金時荘は、その昔はまだロープウェイも開通する前の時の話です。

当館の前の道路である大涌谷への道を通る人の休憩のための茶屋をやっていました。

昭和25年ぐらいの時代です。

茶屋ですから、サイダーやビールやおでんなど簡単なものを出していたようです。

茶屋をしながら、箱根ロープウェイを建設する作業員の人たちの宿泊所として、提供する時期もありました。

その後、京成電鉄株式会社の保養施設として契約して、主に社員やそのご家族や関係者の宿泊施設となりました。

父は、当時箱根登山鉄道の本社に勤務していましたが、手弁当を持って、箱根の素晴らしさを宿泊することで知ってもらおうと、上京して色々な会社を回って、保養所契約を京成電鉄様とかわすことになったのです。

箱根強羅で会社の保養所システムの走りだったので、まだ3軒くらいしかなかったそうです。

昭和、平成、令和と時代が流れて、最盛期には強羅保養所組合には200軒以上の大小様々な会社の保養所が加盟していたそうです。

令和になって5年、会社が保養施設を持つ時代は去り、保養所のあり方も変わりました。

会社の健康保険組合が自社の保養施設を持たないで、保養所の管理運営を事業とする業者と契約するようなやり方が出てきました。

箱根金時荘では、70年の長きにわたり、京成電鉄関係会社様の社員やご家族様がご宿泊いただいており、大変あり難いことでございます。

合わせて、ホームページや日帰り温泉からのお問い合わせで当館をご利用くださるお客様とのご縁もとても有り難く感謝の気持ちでいっぱいです。

箱根山の噴火騒ぎ、台風による登山電車の長期運休や温泉供給が止まってしまったこと、あしかけ3年のコロナ禍など「もう辞めちゃおう」と何度考えたことでしょう。

でも辞めないのです。

箱根金時荘はまだまだ続きます。

すごく温まる大涌谷のかけ流しの白い濁り湯温泉に入っていただいて「温泉気持ちよかったです」の言葉を聞いたら、ファイトが湧いてきてしまうのです。

昭和レトロの懐かしい雰囲気になりました温泉民宿の箱根金時荘へ、またおいでください。

新緑の山が皆様をお出迎えしています。